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~見つける、つながる。音楽の街~

INTERVIEW 「Taiko Super Kicks 伊藤暁里」

《誰もの心と感覚に寄り添う、“隙間のある音楽”の引力》

Taiko Super Kicksの音楽には、“隙間”がある。もちろんそれは音が少ないなどといった意味じゃなく、解釈や楽しみ方に、ものすごく自由があるのだ。例えば仕事帰りの夜道、Vo/Gt.伊藤暁里の歌詞が、誰かの孤独をほんの少し和らげる。例えばどこかのライブハウスで、静かなスリルに満ちたバンドの音に誰かが身を任せ、新しい刺激を楽しむ。例えば昼下がりの部屋の中、深く澄んだ伊藤の優しい歌声が、誰かの心をゆるゆるとほどいてゆく
筆者はこれほど“聴き手に寄り添う音楽”を聴いたことがない。それは轟音にすら静謐さを感じさせる、決して押しつけがましくないサウンドもさることながら、伊藤の歌詞にも大きな理由があると思う。彼の綴る歌詞は、「詩」に近い。行間のある、いかようにも捉えられる言葉で紡ぎ出された世界は、1人1人に「自分だけの物語」を思い起こさせてくれる気がするのだ。

この単独インタビューでは、あまり音楽のことには触れていない。フジロック『ROOKIE A GO-GO』への出演から1stフルアルバム『Many Shapes』の全国リリース、レコ発ツアーまで一気に駆け抜け、着実に音楽ファンを獲得してきた4人組バンドのフロントマン。伊藤暁里という人間がこれまで何をしてきて、今どう音楽と向き合っているのか?そんな本人の“リアル”な言葉をお届けする。

取材・文/ 山田百合子 取材撮影/ 長塩禮子 撮影協力/ 喫茶WANDERUNG

小学生の頃、金子みすゞさんの本をよく読んでて。それは“詩”の原体験だったかもしれません

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―私がTaikoの曲を聴き続けて思ったのは、こんなに「人に寄り添ってくれる音楽ってないんじゃないか」ってことなんです。ライブで聴いたり1人で聴いたり、あらゆる場面で聴かせてもらったんですが、どんな人でも自分の世界に入り込める「隙間」があるなって感じたんですよね。

伊藤:隙間っていうのはすごく嬉しい解釈ですね。1つの意味に捉えられるよりも、いろんな聴き方をしてもらいたかったので。

―それで歌詞を読んでみると、「詩」に近いなと。ごく短いフレーズを歌ってるのに、楽曲ではそれをあまり意識させない、不思議だなぁって。なので今回はそういう歌詞の書き方になった背景や、どんな生活・生き方が音楽に影響してきたかなど、伊藤さんご自身のお話を聞かせてもらえればと思っています。

伊藤:はい、よろしくお願いします。

―では早速、小さい頃から詩や本は身近な存在だったんですか?

伊藤:絵本は読んでましたね、「葉っぱのフレディ」とか。フレディの周りの葉っぱがどんどん落ちていって、彼が最後に残ってしまう話。すごく切なかったのをよく覚えてます。母が将来のためを思って「読みなさい」ってたくさん絵本を与えてくれてたので、最初の言葉の原体験という意味で言うと、絵本かもしれませんね

―なるほど。

伊藤:あと小学生の頃、金子みすゞさんの本を持っていて、よく読んでました。それは詩の原体験的な要素があったかもしれません。あとは小学校3年か4年の頃に流行っていた326(みつる)が好きで…高校生くらいから、ノートに自分なりの詩を走り書きすることが増えましたちょっと黒歴史かも?微妙ですね(笑)。

―(笑)。やっぱり書いてたんですね。音楽やろうって決めてから詩を書いた人とは思えなくて。

自分の知らない日本語の表現はまだまだある。それが「Taikoは日本語で歌おう」って気持ちと繋がったんです

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伊藤:大学に入ってからは書いてなくて。詩を改めて好きになったのは、アメリカ留学から帰って来てからなんです。留学中って全部英語だから、日本語読めないじゃないですか。だから「帰ったら日本語読もう!」って気持ちになって。本格的に本や詩に関わったのはそれからですね。高橋源一郎さんの小説『さようなら、ギャングたち』にすごく衝撃を受けたり、川上未映子さんの作品にも気付かされたところは大きかったです。

―川上未映子さん、私も衝撃を受けました。詩的というか、他にはない独特な書き方で…。

伊藤:そうですね。彼女の文章を読んで、自分の知らない日本語の表現がまだまだあるんだなと気付いて。それが「Taikoは日本語で歌おう」って気持ちと繋がったんだと思います。バンドを始めようとした時期と、日本語面白いなって思い始めた時期がちょうど合致して。

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―なるほど。もとから留学したいって気持ちはあったんですか?

伊藤:深くは考えてなかったです。親の意向を汲んだところはありましたね。留学ができる大学がいいんじゃないかと勧められて

―ご両親って、結構しっかり教育される方だったんですかね。

伊藤:そうですね、若干教育ママ的なところもありつつ(笑)。でもいろんなことをしっかり体験させてくれました。ピアノ、スポーツ系も親の勧めで。小・中とサッカー部だったんですけど、中2からバスケに転向しました。

大学生になるまで、何をするにも最終的には「自分で選べていなかった」

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―文武両道ですね。

伊藤:でも今考えるともう少し自由にやっても良かったのかなと思います。大学生になるまでは、最終的に自分で何をするか選べていなかったので。

―そうですか…。でも高校生くらいまでって、いろんな意味で親から逃れられないような気がします。

伊藤:そうですね。だからそういう点では上京して良かったと思います。今は死ぬほど自由にやってますので!

―(笑)それは良かった!ちなみに伊藤さんって、どんな感じの小・中学生だったんですか?

伊藤:中学の頃は人生で一番“すごいヤツ”として見られてた時期だった気がします(笑)サッカー部とバスケ部と音楽部に入って、卒業の歌の四部合唱を作曲し、その伴奏をしたり…。器用貧乏なんですよ。

―いや、ちょっとした神童じゃないですか!目立ちたいって気持ちもあった…?

伊藤:確かに少し神童感あったかもしれません(笑)。表舞台に登場する回数が多かったというか。小・中の頃はかなり目立ちたがり屋でした。人気者になりたいというか、元気キャラで。授業中に分からないことがあったら質問しまくるとか、小4になっても敬語が使えないとか(笑)。も何でしょうね、高校生くらいからそういうのも徐々になくなって…。

―高校生って多感な時期だし、周りの人も変化しますもんね。

伊藤:そうですね。高校はこれまでより人も多かったし、控えめに…、とは言え相当面倒くさい奴だったと思いますよ。お調子者系というか。

―意外だなぁ。確か伊藤さんは福岡ご出身でしたよね?バンド活動はいつからやってたんですか?

伊藤:生まれは鹿児島で、3才のときに大分県の日田市に引っ越して、そこに小5までいたんです。それから福岡に行ったので、実は生粋の福岡県出身ではないというか。バンドは、ちょうど流行り始めたASIAN KUNG-FU GENERATIONを貸してくれた友達に誘われて、中学のときから学校外でスタジオ借りて活動してました。アジカンを1曲コピーして、それからオリジナル曲をやるようになって…高2くらいまで続いてましたね。

―長いですね!その時もやっぱり中心人物的な感じ…?

伊藤:僕、ドラムだったんですけど、作詞作曲は全部僕がやってました。ピアノを習ってたからアレンジなんかが出来たんだと思います。

ドラムが楽しくて、家でよく『週刊少年ジャンプ』をドラムの位置に並べて叩いてました

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中学生で作詞作曲、昔からセンスがあったんですね。

伊藤:うーん、今でも音楽を作るってことを、ちゃんとは分かってはないですよ。感覚的に捉えてるだけって気がします。

―なるほど。でも学校外でわざわざバンド組むってなかなかないですよね。バンドをやろうと思ったきっかけは何だったんでしょう?

伊藤:ドラムをやってみたかったからです。ピアノを習ってた小5か小6のときから興味あったんですよ。だからバンドで始めたときは楽しくて、家でめっちゃ練習して、よく「週刊少年ジャンプ」をドラムの位置に並べて再現して叩いてましたね。うわ、これ久しぶりに思い出した!

―それ、いい絵ですねぇ!

伊藤:懐かしい。音楽的きっかけで言ったら、アジカンになりますかね。中学の頃は何がバンドか、なんて分からなかったから、MONGOL800やSMAPを並列で聴いてたんですよ。でもアジカンを聴いたとき、「これは何か違う、これはバンドだ!」って分かったんです。彼らの音楽を聴いたときの衝撃は、よく覚えてます。CDプレーヤーにこう、CDを入れて、曲がかかった瞬間「何だこれは!」って。

―きっかけとなったバンドは、アジカンだったんですね。そういえばちょっと話が飛んじゃいますが、早稲田大学のサークル(MODERN MUSIC TROOP)にいた頃“スライディングが普通の歩き方”ってグループでシンセをやってましたよね。

伊藤:はい。大学に入った2010年頃、エレクトロニカが好きになって。実はベースの大堀さんとは、タイコをやるかなり前にそういうバンドもやってました。“スライディング~”はまた別で、サークルの同期でやっていたバンドです。そのときシンセがすごく好きで、いいのを買ったり…ドラムよりもハマってました。ピアノと違う音色が良かったんですよね。

―「しゃもじ」って曲のMVで踊ってる姿が意外で印象的でした(笑)。フロッグマンって名前で…

伊藤:あのMVは本っ当に悪ふざけなんで(笑)。若気の至りです。

僕らは“友達”じゃなかったんです。今思うと、バンドをやる上でそれがすごく成功してる

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―(笑)。留学から帰ってきて、Taiko Super Kicksのメンバーを募ったと思うんですが、どうして彼らに声をかけたんですか?

伊藤:演奏の技術や面白さっていうのはもちろんあるんですけど仲のいい友達の集まりじゃないバンドにしたかった”という気持ちがあって。初めてバンドを組んだ中学の頃とは反対の始め方ですね。今思うと、それはすごく成功している気がします。サークル内の先輩後輩ではあったけど、僕らは友達じゃなかったんです。そこまで深い係わりはなかったというか。

―そうでしたか。実はTaikoってメンバー間に絶妙な距離感があるなって感じてたんです、悪い意味じゃなく!その理由が腑に落ちた感じ。

伊藤:そうですね、絶妙な仲の良さなのかもしれません。きっかけも理由も“バンドをやること”だから、変にダレないし。例えばメンバー2人でいるとか、そういうことは少なくて。でも4人集まると仲いいです。

―なるほど。今のバンドの関係性が、音楽にもいい方向で反映してると思います。

伊藤:そうなんです。こないだNohtenkigengoの花枝さんに言われたんですけど、「Taikoってみんな違う方向を向いてるけど、結果として同じ方向を向いてる」って。

ライブでアガろうと思えばアガれるし、ゆったり楽しむこともできる。それも「隙間や余地」かもしれない

―なるほど。ライブで特に感じることなんですが、Taikoって1曲の中で、まるで別の曲に変わったかのようないろんな展開がありますよね。例えば穏やかな曲調から、間奏でいきなり轟音がグワァって全身に降りかかってくるんだけど、またフッと戻って。それでいて全体的には激しい印象がないのが心地いいなぁと思います。

伊藤:そう言ってくれる方は結構多いですね。嬉しいです。展開が多い、静と動があるっていうのは、僕らの典型的な特徴かもしれないです。

―だからアガろうと思えばアガれるし、そうじゃない聴き方もできる。それもまた「隙間や余地」かなって思ってるんですよ。ライブでは聴いてる人がみんな、それぞれの楽しみ方をしていて、すごく気持ちよさそうなんです。そしてイベントが終わったらサラッと帰っていく辺りにも、純粋に“音楽を聴きに来てる人”の多さを感じます。あと男性のお客さんが多い。

伊藤:そうですか!それは気付かなかった…。確かにエゴサーチすると、男の人が多いかも。今初めて自覚しました。何かそれに意味があるんだろうなって思うけど…逆に言うと女性の「キャー!」的な要素がないとも言えますね(笑)。

―…!キャー的要素の方はどうですか、やっぱりあった方がいいですか?

伊藤:うーん、やっぱりあった方が嬉しいなとは思いますね。ただそのために「こういう音楽やらなきゃ」っていうのはもちろんないですけど(笑)。

―なるほど(笑)。以前「眠らせたい音楽」って表現を使われていたと思うんですけど、私はなかなか眠りにくい音楽だと思っていて。特にライブだと曲のつなぎとか、展開が変わる瞬間のバンドの呼吸とか、「聴き逃したくない!」って気持ちになるんですよね。

伊藤:それはすごく嬉しいですね。あとライブの聴き方がいろいろっていうのは、これまで考えたことなかったです。

根底にある感情は、“憧れに付随する劣等感”に近い気がします

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―COCONUT DISC限定で入っている『Many Shapes』のライナーノーツを読ませてもらってたんですけど、収録曲「低い午後」についての文章で、岡崎京子さんの漫画『リバーズ・エッジ』の中で、登場人物の女の子が河原で死体を見つけたとき「ざまぁみろ」と思ったというくだりで泣きそうになった、って書かれてましたよね。

伊藤:はい。あの漫画の山田君と吉川こずえっていう登場人物は、ちょっと世間から外れてる存在として描かれてるじゃないですか。ドラムののぞみん(小林希)も分かるって言ってたんですけど、あの「ざまぁみろ」の意味って、“誰もかれも楽しそうにキラキラしてるけど、そうじゃないことってあるんだぞ、みんな見てるのか”って、そういう気持ちだと僕は思ってて。やっぱりそのときの実生活と、どこか共感するところがあったんだと思います。

―なるほど。極端ですが、あれって自分がもし本当にキラキラしてる側で何も考えてなかったら、引っかからなかったと思うんですよ。

伊藤:そうですね。

―あと『サマーウォーズ』観て号泣したってエピソードがありましたけど、そういう繊細さというか、拾い上げる気持ちというか…。伊藤さんの歌詞は言葉が少なくて、だからこそ聴き手に想像させる余地があると思ってて。激しくはないんですが、確かに底の方で揺れている“感情の気配”がするんです。それが例えば聴き手がはっきり自覚してない孤独や寂しさなんかと、どこかで共鳴する部分があるんじゃないかと感じるのですが…。

伊藤:そういう要素はあると思います。ただ自分の根底にある感情って、多分寂しさというより憧れというか今は“憧れに付随する劣等感”に近いかもしれないですね。劣等感が寂しさに繋がってる部分もあるけど、自分が“出来ないなりにやっている”という感覚が常にあるからかもしれない。

―劣等感…。大学に入っていろんな才能や知識を持っている人達に出会って、一旦自信がなくなった、というお話を思い出しました。

伊藤:そうですね、言ってしまえばそれまでは“何でもできる”って気持ちだったのが一回落ち込んで。でもGrass Widowってバンドを知ったときにも思ったんですけど、「出来ないなりにやっていいんだ」という風に段々考えが変わっていったんです。元々は自信満々な人間なんで、ちょっとアンビバレントなところはあると思います。

―そのアンビバレントさが、伊藤さんの不思議な魅力や世界観を作ってるのかもしれないですね。

「霊感」が生まれた理由

伊藤:…かもしれないです。実は出来ないなりにやっていいんだっていうのを歌ったのが「霊感」という曲なんですよ。ある領域にのめり込んで結果的に専門家や著名になった人のことを、“彼らは霊感を追いかけてやったんだ”って表現されてるのを知る機会があって。そのとき「あぁ、自分にはそれがなかったんだ」って思ったんです、何かにのめり込むことが。最初に話した器用貧乏じゃないですけど。

―そうだったんですか。

伊藤:で、その霊感って言葉がすごくいいなって思い。何故かというと霊感は「なくてもいいもの」から。ちょっと語弊があるかもしれないけど、「私、(お化けが見える方の)霊感があるんだ」っていうのは、どうでもいいことだし。少なくとも見えないことを悔やむ必要はないというか。

―私、ずっとこの歌詞の意味が気になってたんです。「霊感のない僕は 彼らに見えるものが うまく見えないのさ それだけのこと」。ほとんどこの1節だけを繰り返して歌っていて、でも曲としては物語性が感じられて。すごい曲だなって思ってたんですが、このエピソードを聞けて良かった。

本は何ページか読んで、「これは自分の中で大事なものになりそう」って感じたらとりあえず買います

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―話を戻しますが、アルバムの重要曲である「メニイシェイプス」と「低い午後」では、生活の中で見落とされてしまうものに目を向けることがテーマだけど、「低い午後」の方がより尖ってるって書かれてましたよね。

伊藤:それは、そこまで大したことじゃないんですけど(笑)。「低い午後」を書いた頃って、大学の授業で戦後詩を習ってたんです。そのとき“戦後詩を書いてた人たちは、本当に世界を言葉で変えようとしてたんだな”っていうのに感化されて。だからちょっと反抗するモードだったというのはありますね。でも今はちょっと強く言い過ぎたかなって思ってるんですけど…。

―そうでしたか。今特に好きな詩人の方っていらっしゃいますか?

伊藤:荒川洋治さんや井坂洋子さんです。「釘が抜けたなら」は井坂洋子さんの詩集からかなりインスピレーションを受けてます。本や詩は普段から結構読んでるんですけど、詩からインスピレーション受けるようになったのは、最近ですね。

―なるほど。他には何か読まれてます?

伊藤:雑多に読んでます。本って手元にあるといいですよ。自分の中では積読が大事っていう意識がすごくあって。どのタイミングでその本が重要になるかは分からないけど、本屋で手にとった本の何ページかを読んで、「これは自分の中で大事なものになりそうだ」って感じがしたらとりあえず買ういうのを意識してますね。

―そうなんだ。そういうインスピレーションで本を買う人の話、初めて聞きました!

伊藤:「絶対これ後から好きになるな」って感じるんですよ(笑)。

バンドはずっと続けたい。嫌だなって思いながらやることになったら終わりだと思うんです

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―社会人になってから完成した『Many Shapes』ですが、やっぱり歌詞作りに影響はありましたか?よくお話されている“外に開いていく感じ”を意識しているというのは、経験の変化からも来てるんでしょうか。

伊藤:そうですね、割と…。「釘が抜けたなら」なんかは社会人になってからの曲ですね。

―なるほど、この曲は特に優しく励まされる感じがして、好きです。他のインタビューで知って印象的だったのが、メンバーそれぞれの生活があった上で、バンドをずっと続けたいとお話していたことなんですが。すごくメンバー思いなんだなぁと感じました。

伊藤:バンドを始めたときからメンバーそれぞれの意志を最優先したいいう気持ちはずっとありました。難しいんですけど、嫌だなって思いながらバンドを続けることになったら終わりじゃないですか。だからそうならないように。

―誰も嫌にならず、長く続けられるバンドでいたいと…。

伊藤:やっぱりライフワークにしたいっていう思いが強いんですかね。歌詞にはその時々の自分が反映してるんですけど、それだって自分の生活がないと“ない”はずなんですよね、新しく生まれる歌詞も、歌っていきたいこともだからメンバーそれぞれに“生活”がないといけないかなっていう。でも結局リーダーとして「こうして」って言わなきゃいけないこともあるから…、何でもOKって訳にはいかないじゃないですか。その辺は前と意識が変わったところでもあります。

先に歌詞ができていて後からメロディが浮かんだとき、「これはあの歌詞のために生まれたメロディだ!」ってがっちりハマるときがある

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―ちなみに、歌詞はどういうときに思いつくんですか?

伊藤:割と多いのは、考えごとをしているときですかね。考えて考えて…「あっこれだ」って思いついたり。例えば自分の中でこれは重要な言葉だなってことを帰り道に気付いて、その単語を書き留めたりとか。

―なるほど、WANDERUNGで弾き語りをしていたときもメモを持ってましたもんね。曲作りは、歌詞が先か曲が先ってあります?

伊藤:僕は音楽偏差値が高くはないので、符割に沿って言葉を当てはめていく、というような曲の作り方はしてないですね。ほとんど感覚で。作り方は歌詞が先のときも後のときも、いろんなパターンがあります。例えば先に歌詞ができていて後からメロディが浮かんだとき、「これはあの歌詞のために生まれたメロディだ!」ってがっちりハマるときがあるんですよ。

福生の知らないおばあちゃんの裏庭を借りて撮ったんです。物も自分たちで選んで持って行って

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―それは素晴らしいですね。…そうだ、突然ですがずっと気になっていたことが。今のアーティスト写真ってどこで撮影したんですか?

伊藤:あれは、東福生のある全く知らないおばぁちゃん家の裏庭なんです。福生にありながらも、あまりアメリカ感のないガレージがいいなと思ってて。「宗教勧誘お断り!」って貼り紙がしてある家だったから難しいかなと思ったんだけど、快くOKしてくれて。

―伊藤さんの手の平に乗ってる亀やら招き猫は、どういう経緯で…?

伊藤:あれは敢えて撮影のために選んでみんなで持って行ったんです。亀はギターの樺山君が飼ってます。招き猫は、僕が大学卒業のとき豪徳寺の招き猫に助けられたので、今回もそこで買いました。招き猫とテレビデオのバランスが気に入ってるんですよね(笑)。

ーまさか福生まで行っていたとは、驚きました(笑)。…話は戻って、手帳やノートはいつも持ち歩いてるんですか?

伊藤:はい、最近は大体。そういえば1月に財布を失くしちゃったんですけど、そこから生活変わったんですよ

―え、見つかってないんですか?

伊藤:見つからないです。これ真面目な話なんですけど、そのとき父が珍しくいい事を言ったんです。「失せ物は厄落とし」だったかな。父は僕に似てちょっと抜けてるところがあるんですけど(笑)、それがすごく当たっていて。

―へぇ!

伊藤:それからすごくスッキリしてるんです。自分の中にこれまでとは違うものが入ってきて、良かったなと。だから今は財布持ってなくて、小銭はポケットで、お札はこの手帳の中に…。suicaも入ってるんで、コレで改札通れるんです!まぁそのうち買うと思いますけど、これでどれだけいけるかっていうのを…何か自由な感じがしていいんですよね。気分はアメリカ人(笑)。

よくも悪くも、僕は今自分が決める“ライン”の方が重要

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―(笑)。ではこの流れで最後にお聞きしたいのですが、留学して変わったことはありますか?ものの見方とか…例えばアメリカって、主張をしないと負けちゃいそうなイメージがあるんですけど。

伊藤:日本でも主張するときはしてたんで(笑)、その辺はあまり変わらなかったですね。ただやたらと物事を大局的に見るようになってこれは悪いクセかなとも思うんですが…。留学中によくも悪くも「大体のことはどうにかなる」っていう考え方になりましたね、自分の中で。

―それを体得しているのって、すごく大きいと思います。

伊藤:はい、1人で旅行もできたし。でも微妙なところは、結局それは自分の判断基準であって、見る人から見たら、例えば「自分勝手に生きている」っていう風にしか捉えられないこともあるから。…それでも「僕は自分が決める“ライン”の方が重要なんだ」って気持ちを持って過ごしてます。

http://taikosuperkicks.tumblr.com

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special thanks! 喫茶WANDERUNG

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